「先生」問題Ⅲ ~先生と言われるほどの馬鹿でなし~

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私のような最下層の大学教員など「センセイ」と呼ばれる必然性はありません。
しかし,私のまわりには優しい方が多いもので,センセイと呼んでくださいます。
ありがとうございます。

センセイと呼ばれた時,私は次のことわざをいつも思い出しています。
学生から呼ばれる時はまた違いますが。

先生と言われるほどの馬鹿でなし

先生という呼称は敬意を伴わない場合もある。先生と呼ばれて気分をよくするほど馬鹿ではないということ。また、先生と呼ばれていい気になっている者をあざけっていう言葉。(ことわざ辞典より)

さすが辞典先生!
簡潔に説明していますね。
そして,さすがは先人というべきか,今の世の中で起きているほとんどのことは経験済みであり,それらの経験をうまくことわざにまで落とし込んでいるのです。

一方,相手の立場がわからない時などは「センセイ」と呼んでおけば丸く収まりそうですから,実に便利な言葉です。
今日もさまざまな場所で「センセイ」がいい感じに使われているのでしょう。
あ,私はそうしたことはしません。

過去に『「先生」問題』と題して,以下のふたつの記事を書きました。
いやー,今みても私の性格の悪さがにじみ出ていますね。

私の研究フィールドですと療養現場や福祉施設や病院に行くことが多いです。
そこでは,エライ若い20歳そこそこのコメディカルまでがセンセイと呼ばれているのです。
おいおい,専門学校出て国家資格があるといっても,博士号も教職歴もない人達でしょ?
正直,ギョッとします。

他の人はどう思っているのかGoogle先生に聞いてみますと,やっぱりいました。

どれもおもしろい考察をしていますが,次のブログは実にしっくりきました。

中でも一番に問題の何が教師だと思います。学校出たての世間も知らない若造が同僚、PTA、生徒からも「センセイ」と呼ばれます。教師の世界は新米でもベテランでも平等ですし、クラスにおいては絶対の権力者です。しかも教員の世界は閉鎖的で、社会性を涵養しずらい環境といえます。

そこで「センセイ、センセイ」と呼ばれていれば感覚が麻痺しているでしょう。

学校の教員であれば,生徒からセンセイと呼ばれるのは問題ないかと思いますが,教員同士のセンセイセンセイはほんとコント
勘弁してほしいです。

最悪ケースでは,教員らの懇親会などでは,ほぼすべての参加者同士「センセイ」と呼び合います。
どのセンセイかは,話の文脈や向いている方向などさまざまな情報を統合して判別しないといけません。
コントが5本くらい作れそうです。

やっぱり,センセイ問題はセンセイ自ら見直していかないといけませんね。

(追記 2019.6.24)
支援学校や養護学校の場合は,実態としては障害者施設の介護・介助スタッフという立ち位置が実態に合っています。もちろん,一部には社会を生き抜く技術やココロを伝授できるすばらしい方々(先生)もいますが。

一般に,支援学校の教員には大した専門性があるとは思えず,そんなスタッフたちが「先生」ってのはどうかと

もし,本当に専門性があったら,学会活動はもちろんのこと,所属校などで自主的に勉強会を開催したり,土日に保護者などを集めてセミナーを開いたりすると思うのです。

ごく一部を除いて,そんな積極性はまずナイナイ!

「先生」問題Ⅲ ~先生と言われるほどの馬鹿でなし~” に対して1件のコメントがあります。

  1. ただの通りすがりの者です。 より:

    大昔に教員をしていた者です。
    大学を卒業して教員になったばかりの頃、「先生」と呼ばれることにえらい抵抗がありました。
    飲み会の席で先輩教員にその話をしたところ、勘違いをするなと言われました。
    教員同士の「先生」呼ばわりは「敬称」では無いと言われたのです。
    それは「職名」であって「敬称」では無い、だからそんなことを気にしているお前は自意識過剰だ、
    そう言われて笑われてしまいました。
    現場で働いている殆どの教員は、「敬称」として「先生」という用語を使っていないと思います。
    「先生」という職業に就いている者を「先生」と呼ぶのは単なる「職名」に過ぎません。
    現場の教員はそのことを弁えていると思います。

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