人生は実にうまくできているといえます

岩山(いわやま)から岩手山を望む

宮沢賢治のスゴイところのひとつは,たとえ金持ちのボンボンであったとしても,自ら生活の安定を捨てて当時の貧しい農民と同じ生活飛び込んだところにあります。
身分の安定した安全地帯から,貧しさの最前線に投じられる農家の生徒たちには,何も教えることなどできないと考えたからでした。
これは,すべての分野に当てはまるのではないかと,ずっと思っていました。
特に,人間が相手となる福祉工学の分野では。

私の研究においては,どうあがいても障害当事者の視点にはなれないというもどかしさをいつも背負っていました。
教育や医療の現場に,頭でっかちの大学教員が登場したところで,大して役に立たないのはよくあることです。
それを演じるのだけはぜったいに嫌でした。

とかく福祉工学の分野では抽象的な概念だけではどうにもなりません。
数式で煙に巻くことなど無意味なのです。

いつの間にか,どうやったらもっと当事者に寄り添った教育・研究ができるのだろうか,というのが私の大きなテーマとなりました。
大学教員として,「学生への教育」・「学術的な研究」や「現場で必要な技術開発」をバランスよくマネージするにはどうしたらいいのか,いつも悩んでいたように思います。
いくつかの受賞や評価でこれまでの活動が実を結んできたと思えたこの秋,ベストタイミングで生命に危機をもたらす肺がんとなりました。

人生は実によくできています。
ずっと得られなかった当事者の視点が思いがけずもたらされました。
病気の告知を受け入れること・病院で生活するということや「重症患者」となってケアを受けることをなどを集中講義のように一気に経験しています。
また,人生が有限であることを突然突きつけられたことで,生きることの意味を脳細胞レベルでの思考を超えて,魂レベルで体験しながら学んでいます。

下記は,宮沢賢治の詩の中でもトップクラスのお気に入りの文言。
『春と修羅』の“あすこの田はねえ”から。

単なるサラリーマンの先生から得られるものは少なく,本当に意味のあることは身をもって体験したことだけということです。
リスクを取らずに自身の身分に安住した先生から得られるものは,独りよがりの大して実効性のない屁理屈だけかもしれません。
少なくとも私はそう理解しています。

もし今の病気がうまくマネージできたら,いよいよ本当の研究ができるのでしょう。
いや,今からはじまるのかもしれません。
うん,はじめます。

あすこの田はねえ

宮沢賢治

(中略)

これからの本統の勉強はねえ
テニスをしながら商売の先生から
義理で教はることでないんだ

きみのやうにさ
吹雪やわづかの仕事のひまで
泣きながら
からだに刻んで行く勉強が
まもなくぐんぐん強い芽を噴いて
どこまでのびるかわからない

それがこれからのあたらしい学問のはじまりなんだ
ではさようなら

雲からも風からも
透明な力が
そのこどもに
うつれ

日の出の時,病室から岩山を望む

これからどうなるのか,たしかに不安はいくつもあります。
でも,私は自分の人生を信じているからまったく怖くはありません。
だから,同情など一切不要なんです。

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