障害者は「飛べない鳥」なのか?

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「鳥」といえば,空中移動できる能力を持った,我々からするとちょっとうらやましい脊椎動物です。「飛べる」ということが大きな特徴なので,「飛べない」のは鳥類失格。

人類はといえば,話したり書いたりできることが特徴の生物。これらができないのは人類失格?

「鳥類」全体を俯瞰してみれば,「飛ばない」ことを選んだものたちがたくさんいます。ダチョウやペンギン,枚挙に暇がありません。ダチョウは地上を自由に駆け巡り,ペンギンは海中を飛翔することを選びました。

実は,地球上の生物自然界は弱肉強食ではなく適者生存です。

けっして,力で相手を圧倒するものだけで生き残るわけでなないのです。それぞれの環境に合わせることができた生物が生き残るのです。

ダチョウやペンギンは,空を飛ぶ世界にあえて別れを告げて,地上や海の中へと生活の場を移していきました。それが,鳥類全体の生存戦略だったわけです。

「みんなが空をベースに暮らすのもいいけど,一度は捨てた地上もいいよね!」「海の中でも意外と飛べるんじゃない!?」って感じで分家を増やしていったのでしょう。それが功を奏してダチョウやペンギンは鳥類の代表する「飛ばない鳥」になりました。

もう「飛べない」ことは,何のデメリットでもないのです。

現状の障害者は,確かに「飛べない」人類です。でも,もしかしたら,「飛ばない」ことを選んだ勇気ある人類かもしれません。あえて,この社会で生きるには不自由なボディーと精神をまとって生まれた,人類の進化におけるチャレンジャーなのではないでしょうか。

障害者と健常者のしきい値を,限りなく消してしまうような社会が構築できたとき,地球上最強の生物になれそうです。

つまり,この多様性こそが人類全体の生存戦略なのではないかと思うのです。


(以下,雑記)

力強くたくましく,知的で明るく雄弁な人であることは,たしかに今の社会で暮らすには有利です。でも,そんな人たちだけでは社会は成り立ちません。事実,今の科学技術の基礎は,たくさんの精神障害者が築いてきました。芸術の世界もそうでしょう。

天才の多くは何らかの「障害」を抱えていたといいます。昔の天才は,当時の人々に理解されず研究を続けてきました。同じく,今の天才は今の人々に理解されにくいのは,歴史を振り返れば容易に想像できます。

今の障害者がみんな,いわゆる天才だとは思いません。それでも,今の我々が理解できないだけで,何らかの真理を追求している人々だという可能性は否定できません。

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