【何が起きたのか?】EyeMoTユーザーのヒアリング vol.1
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2025年12月5日・8日に、EyeMoTユーザーからヒアリングをする機会がありました。とあるメディアの方がEyeMoTやワタクシの活動に興味を持ってくれたことから、ユーザーさんの話を直接聞いてもらう機会を作ったのです。
ワタクシも初耳のことが多く、たいへん学びの多い時間になりました。EyeMoTに関わるヒアリングではありましたが、それに留まらないエピソードの数々は、自分自身の人生を見直す時間にもなりました。
重度障害児のテクノロジー利用というと、とかくアプリやシステムに目が向きがちですが、使うのは人であり、それを支援するのも人。人が織りなすストーリーが垣間見えるヒアリングとなりました。
以下に、5日に行われたもののAI要約を載せます。
ユーザーさん
| 氏名 | 立場・地域 | お子さん・エピソード |
| K.Y | 母親 奈良 | 医師から「意思疎通は100%無理」と宣告されたが、「反骨精神」で諦めずに取り組み、医師の認識を変えた経験を持つ。 |
| A.Y | 母親 東京 | 難治性てんかんで生後2ヶ月で発症。EyeMoTに出会うまで5〜6年の孤独な時期があった。現在は訪問籍で視線入力を授業に活用中。 |
| K.M | 母親 岩手 | 16歳の時に伊藤氏のセミナーでEyeMoTに出会い、母親を認識していることが視線履歴で証明され感動した経験を持つ。「伊藤教」と自称するほど信頼している。 |
| A.Y | 母親 島根 | 作業療法士(OT)の勧めで開始。視力検査が難しく「見えていないかも」と言われていたが、EyeMoTで実は見えていることが判明。きょうだい児とのゲーム対戦などで家族のコミュニケーションが増加。 |
| M.M | 母親 宮城 | 低酸素脳症。医師から「調べる方法がない」と言われていたが、病院で偶然三浦さん親子を見かけて声をかけ、視線入力を開始。視線で絵を描き、医師や看護師の態度が変わった。 |
| M.E | 教諭 山形 | 教員(以前は東京で映像編集の仕事をしていた)ITや機器に不慣れな教員が多い中、自費で機器を購入するなどして重度障害児への視線入力活用を推進しているパイオニア的存在。 |
みなさんに、何が起きたのか?
1. ヒアリングの趣旨と背景
- 目的: 制作会社のE氏がテレビ番組の企画立案のために、重度障害児を持つ母親たちから「EyeMoT(視線入力アプリ)に出会う前の苦労」と「出会った後の変化」を直接聞きたいと提案。
- 現状の課題意識: 医師や学校の先生が「この子は分かっていない・見えていない」と判断しがちな現状に対し、母親たちがどう向き合ってきたかを知りたい。
2. EyeMoT導入前の「苦悩と孤立」
- 医師・専門家からの否定:
- 「意思疎通は100%無理」「脳波も期待できない」「見えているか調べる方法がない」と宣告されるケースが多い。
- 視力検査(ランドルト環や縞模様の判別)ができないため、「見えていない」と判断されがち。
- 母親の孤独な確信:
- 母親だけは日々の微細な反応から「分かっているはず」「見えているはず」と感じているが、客観的な証拠がないため周囲(医師や学校)に信じてもらえない。
- 「お母さんだからそう思うだけ」と片付けられ、必死になるほど周囲から孤立していく経験をした方が多い。
3. EyeMoT導入による「劇的な変化(可視化)」
- 意思の証明:
- 視線履歴(ログ)やヒートマップによって「どこを見ているか」が可視化され、「母親(特定の人物)を認識している」「選択している」ことが客観的な証拠として示された。
- これにより「母親の感覚は間違っていなかった」と自分自身を肯定できたことが、母親にとって大きな救いとなった。
- 周囲の態度の変化:
- 医師・看護師: 証拠を見せることで、「分かっている」と認めざるを得なくなり、母親越しではなく「子供本人」に話しかけるようになった。
- 学校・地域: 子供が描いた絵やゲームの結果を通じて、健常児の児童やきょうだいともコミュニケーションが取れるようになった(「すごいね」「上手だね」と褒められる体験)。
4. 教育現場(学校)の現状と課題
- 個人の熱意に依存:
- 特別支援学校の教員からの視点として、学校全体での導入は難しく、ICTに苦手意識を持つ教員も多いため、担任の熱意やスキルによって環境が左右される(「先生ガチャ」と言われる状況)。
- 以前はネット環境すらなかったが、GIGAスクール構想などで環境は整いつつあるものの、使いこなせる人材が不足している。
5. 横のつながりとSNSの重要性
- 発信することの意義:
- 伊藤氏の勧めでFacebookなどで「できないこと・困っていること」を発信した結果、全国の詳しい人から情報が得られ、仲間ができた。
- 地域に同じ境遇の人がいなくても、SNSを通じて孤独感が解消され、互いの活動が励みになっている。
それぞれに、何が起きたのか?
K.Yさん(奈良)
- 立場: 母親
- エピソード:
- 導入前: 医師から「意思疎通や機器の利用は100%難しい」と宣告されました。しかし、母親は日々の生活から「絶対に分かっている」と確信しており、医師の言葉に屈せず「どうすれば伝わるか」を模索し続けました(反骨精神)。
- 導入後: 長年の取り組みを経て、医師に娘の可能性を証明することに成功しました。医師からは「自分は医療現場の短い時間しか見ていなかった。お母さんとの関わりの中でできることがあると教えてもらった」と感謝の言葉を得ることができました。
- 学校との関わり: ICTに苦手意識を持つ先生が多く、「特定の子だけ特別扱いはできない」と言われるなど壁がありましたが、母親主導で環境を切り開いてきました。
A.Y さん(東京)
- 立場: 母親
- エピソード:
- 導入前: 生後2ヶ月での発症以来、治療に追われる日々でした。周囲の母親たちから「この子たちは何も分かっていない」という前提で接されることに違和感と孤独を感じていました。微細な反応から「分かっているはず」と信じていましたが、それを周囲に理解してもらう術がなく、5〜6年間の孤独な模索期間がありました。
- 導入後: 視線入力を通じて意思が可視化され、現在は訪問学級で活用しています。先生が「娘が見えやすい位置(左側)」を把握して授業をしてくれるようになり、娘さんも理解されている安心感からか、目だけでなく体も動くようになり、声が出るようになるなど、相互に良い効果が生まれています。
K.M さん(岩手)
- 立場: 母親
- エピソード:
- 導入前: 地域の通常学校で育ちましたが、高校で特別支援学校に進む際、社会との繋がりが絶たれる不安を感じていました。16歳の時に伊藤氏のセミナーに参加し、初めてEyeMoTを体験しました。
- 導入後: 「本当に母親だと認識しているのか?」という長年の不安を解消するため、母親と他人の写真を並べて視線ログを確認しました。左右を入れ替えても母親の目元を確実に見ていることが証明され、「やっぱり分かっていたんだ」と深い感動を得ました。この客観的な証拠により、周囲の人々も「お母さんの思い込み」ではなく事実として娘の能力を認めるようになりました。
A.Y さん(島根)
- 立場: 母親
- エピソード:
- 導入前: 眼科検診でランドルト環(Cのマーク)や縞模様の判別ができず、「見えていないかもしれない」と診断されかけました。母親自身も「難しいのでは」と半信半疑でしたが、作業療法士(OT)の勧めで開始しました。
- 導入後: 視線入力を使うとしっかり「見えている」ことが判明し、母親は「諦めていてごめん」と申し訳ない気持ちになりました。現在は地域の小学校に通い、視線で描いた絵が学芸会の背景に使われたり、家庭ではきょうだい児とEyeMoTのゲーム(野球盤)を取り合って遊んだりと、家族や地域の中でのコミュニケーションが豊かになりました。
M.M さん(宮城)
- 立場: 母親
- エピソード:
- 導入前: 医師から「見えているか調べる方法がない」と言われ、娘の円形脱毛症も「重度障害児にはよくあること」と片付けられていました。母親は「伝わらないストレスが原因ではないか」と感じていました。
- きっかけ: テレビでMさん親子の事例を見た後、偶然病院で本人たちを見かけ、「視線入力をやりたい」と直談判して始めました。
- 導入後: 視線で描いた絵を医師にプレゼントしたところ、医師や看護師の態度が一変。「お母さん」を通してではなく、「Rちゃん本人」に話しかけてくれるようになりました。また、同級生からも「どうやっているの?」と興味を持たれるようになり、周囲の認識を覆すことができました。
M.Eさん(山形)
- 立場: 特別支援学校教員(元・映像編集者)
- エピソード:
- 導入前: 進行性の病気で身体機能が低下し、泣いてばかりいた生徒に対し、自費で安価な視線入力装置を購入して試しました。
- 導入後: 生徒に笑顔が戻り、保護者も「まだ分かっているんだ」と涙して喜びました。現在は病院に入院中の子供たちの担任をしており、「全盲」「追視不能」という診断がついている子供でも、視線入力なら反応できることを数多く実証しています。
- 変化: 視線入力のログや授業の様子を医師との会議で報告することで、医師や看護師の子供への見方が変わり、肯定的な関わりが増えています。自身が映像編集の経験があるためICTに抵抗がないものの、学校現場全体としてはまだ先生個人のスキルに依存している課題も感じています。
まとめ
1. EyeMoTが果たした役割:「不可視」の可視化と証明
単なる「PC操作用マウスの代わり」ではなく、「本人の能力の証明書」および「社会との通訳機」としての役割が強調されています。
- 母親の「直感」を「客観的証拠」へ変換
- 医師・教師への説得材料: 医師が「見えていない」「分からない」と診断した子供に対し、視線ログ(履歴)やヒートマップを提示することで、「ここを見ている」「選んでいる」という反論不可能な証拠となりました。これにより、「お母さんの思い込み」と片付けられていた主張が、医学的・教育的な事実として認められるようになりました。
- 「見えている」ことの証明: 従来の視力検査(ランドルト環など)が不可能な子供でも、動くものを追う視線の動きで「見えている」ことを証明し、眼鏡をかけさせられる等の不要な介入を防ぎました。
- 関係性の劇的な変化(「話される対象」から「話す相手」へ)
- 医療・教育現場: 証拠が出たことで、医師や教師が母親越しではなく、子供本人に直接話しかけたり、見える位置に立って授業をするようになりました。
- 家庭・地域: きょうだいがゲームを取り合って遊んだり(対等なライバル関係)、描いた絵を友達に褒められたりすることで、家族や地域社会の一員としてのポジションを確立しました。
- 子供のストレス軽減と自己肯定感
- 意思が伝わらないストレス(円形脱毛症など)を抱えていた子供が、自分の意思で「YES/NO」や「やりたくない」を示せるようになり、精神的な安定や自信(笑顔、発声の増加)に繋がりました。
2. 伊藤氏が果たした役割:「孤立の解消」と「行動の指針」
単に機器を提供する開発者にとどまらず、「孤独な親たちを繋げ、動かすプロデューサー」としての側面が強く出ています。
- SNS活用によるセーフティネットの構築
- 「できないことを発信しなさい」: セミナー参加者にFacebookの開設を強く勧め、「使い方が分からない」「電源が入らない」といった弱みや困りごとをあえて公開するよう指導しました。
- 情報の集約: これにより、地域に専門家がいなくても全国の詳しい人から助言が得られる環境を作り出し、親が地域で孤立するのを防ぎました。
- 「諦めなくていい」という希望の提示
- 「伊藤教」と呼ばれるほどの信頼: 医療や教育の現場で「無理だ」と言われ続けてきた親たちに対し、「必ず成長する」「方法はある」という姿勢と具体的なツールを提示し、心の拠り所となっています。
- 出会いの場の創出: 地方でのセミナー開催やメディア露出(NHK等)が、長年解決策を探しあぐねていた親たちにとっての決定的な「ターニングポイント」を作りました。
- アウトプットの推奨
- 今回のような座談会を含め、親が自分の言葉で経験を言語化し、社会に伝える機会を意図的に作っています。これが親自身の思考整理やエンパワーメントにも繋がっています。
