ペイ・フォワード:「公開」と「非公開」の渚

「この模様をブログに掲載してもいいですか?」

私が障害のある方のお宅や病院を訪問するとき,たいてい言うセリフです。
なぜなら,多くの人に当人の困難な状況を知ってもらうことは,巡り巡ってかならず当人にメリットがあると確信しているからです。

私の研究のミッションは,「テクノロジーを少し使って社会をよくする!」こと。
ひとつの訪問活動であっても,その情報をクローズドにするということは,ミションを達成するのに非効率極まりないのです。

訪問には,コストがたいへんかかっています。
旅費や投入した時間コストはもちろん,私がスキルを獲得するまでの見えないコストも。
それを,知り合って間もない方に無償かつ「非公開」で提供することは,私の有限なリソースを考えるときわめて非効率。
社会に提供できるものがあまりにも少ないのです。
これは,同じ立場になって考えてみれば誰もが納得することでしょう。

たとえば,毎月かなりの金額(*5万円 ✕ 訪問人数)を,他人の利益&自己満足のためだけに使えますか?
ということです。
*私の場合のコスト

有限のリソースを社会にうまく提供するには,できる限りの「公開」が原則です。
ポランの広場(このブログ)の情報が多くの方に役立っているという現象は,顔出しを許してくれた訪問先の多くの方の勇気の上になりたっています。
本心では「公開」にあまり乗る気でなかった方もいるに違いありませんが,結果としては多くの支援者を呼び込むことにつながっているでしょう。
それらの現象はまた誰かの役に立ち,巡り巡って自分の利益につながるのです。
その例は枚挙に暇がありません。
そう,ペイ・フォワード(日本経済新聞)。

おそらく,障害当事者やご家族は他の障害者の公開情報をたくさん調べたはずです。
検索可能になっていたということは,まぎれもなく「公開」されているから。
もし,誰かの公開情報を参考にしたのなら,今度は自分の情報を公開して誰かから検索できるようにするべきでしょう。

「共有」は自分の取り分が少なくなるという意味ではなく,実のところは取り分をどんどん増やしてくれる装置なのです。

ところで,評価経済という考え方があります。

日本で生産されるお米の半分は無料で流通しているとされ,そのお米は「いい人」に渡っているとのこと。
逆に言えば「いやな人」にお米は渡りません。
仮に一度あげることはあっても,お返しの言葉もないような人に次はないでしょう。
つまり,お米を介した善意のやりとりが発生しており,知り合いのお米農家から届くお米も一種の経済です。
評価経済というのは,人の評価が実体の経済に組み込まれているという考え方です。

SNSやネットサービスの多くはユーザーを定量的に評価しています。
その評価のいかんで提供されるサービスにグレードがあるというのもそれに近いでしょう。
ICTの進化で人の評価を蓄積するのが容易になってきたのです。

一方,無償の支援は受けたいけども「公開」は嫌という方にはどんな支援者もモノも定着しません。
自分を守りすぎるばっかりでは,人もモノも集まらないのです。
直近に1例あったので,行く末を案じています。

(メモ)
まさに同じ趣旨の主張を発見。

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