看護師「自分は子どもたちの意思をくみ取れていなかった」
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2024年10月20日、天王洲アイルにある小洒落たスペースにて、社会福祉法人むそうの年次イベントが2日間にわたり行われました。ワタクシは、90分ほどの講演や分科会(下写真)を担当しました。
講演はいつもの話、分科会は視線入力に特化したもの。
全国からのスタッフは100名近く、どういうわけか何人かの市長さんも来ていたのが印象的でした。千葉県君津市の市長さんは、ご自身が重度障害児のママさんで、主婦から政治の道に入った方でした。福岡県古賀市の市長さんは、元新聞記者で、共通の重度障害児の知り合いがいてびっくりしました(下写真)。
さては、ワタクシはどんな場所であっても、どんなアウェーであっても、先にも述べたようにいつもの話をするわけです。
あんなことや、あの人のこと などなど。
イベント後、今回ワタクシを講演に推薦してくれた方(Tさん)から以下のメッセージを頂戴しました。
先生の講義と分科会に参加した今年3年目のやる気のなかった看護師が、先生の話や自身が分科会で体験したことから、管理者に泣いて「自分は子どもたちの意思をくみ取れていなかった」と泣いたそうです。まだまだ若い看護師なので、大切に育てているのですが〜
Tさんのメッセージから抜粋
重い障害のある子どもたちの、「わかっていた」の実例をしっかり受け止めてくれたのですね。
ワタクシは、教育のための勉強経験はなく、まして福祉の経験もない完全理系の人間です。でも、そういう第三者だからこそわかることがあるのかもしれません。
現場を見させてもらってよく感じるのは、現場の「当たり前」は案外脆いものだなということ。その当たり前は、本来あるべき姿なのかを考えた結果なのか。
実のところ、意味も考えずに引き継いでしまったような、なし崩し的な「当たり前」が多いのではないでしょうか。
自分の現場でも、常に心をニュートラルにして「当たり前」に臨んでいきたいと思います。
ご飯が美味しいということは、どの世界でも正義です。
どんな現場でもそれは変わりません(上写真)。